自分史「高校時代5」

自分史「高校時代5」

思い出しながらの第5弾です

二年生の後期に生徒会の副会長に成った
別に成りたくて成った訳ではない
生徒指導の先生に無理やり立候補させられたのです
その頃は生徒会の役員に成り手が無い時代
副会長の立候補者が居ないので
私をと言う事になったのでしょう
会長から集会部長まで立候補したのは一人だけ
立会演説会はやりましたし、誰かが応援演説もしてくれた
誰だったか思い出せない
信任投票と言う事になる。○×投票
勿論全員信任された
10月から後期が始まる
副会長の一番の仕事は「中央廊下の黒板」に
一カ月の予定表にチョークで毎月書き込む事
勿論生徒会室が有るので役員が集まって
色々な話し合いをするのですが
11月ぐらいから会長が学校に出てこない
今でいう引きこもり状態
必然的に私が会長代行と言う事になった

会長代行に成ると意外と面白い事がある
予餞会(三年生を送る会)、卒業式、入学式
特に予餞会の運営を一手に引き受ける事になったのです
自分史「高校時代」で書いたように
ワイルドワンズの思い出の渚を
三人でフォークギターで歌ったり
二代目三遊亭歌笑師匠の純情詩集を歌ったと言うか落語的と言うか?
その当時渥美清さん主演で歌笑師匠のテレビドラマをやって居た
そのオープニングで使われていたそれを
私の仲間に頼んで替え歌にした
始めは一緒ですね???
一生懸命に思い出そうとしたのですが出て来ません??
五十年という歳月が???
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自分史「高校時代4」母が危篤の為

自分史「高校時代4」

母が危篤の為

卒業近くになって「卒業旅行」成る物をすることに
同じ機械科で仲の良かった岡崎(名前ではなくあだ名)と横山
そして私の三人でユースホステルを使って行く事にしたのだが
予定を立てるのは結局私の役割

それでもユースの会員になる必要が有るので
有る日に学校を早退(勿論無断で)して名古屋に行く事に
無事に会員に成った次の日に学校に行くと

「清水、杉浦、横山職員室に来い」
かなりの剣幕で担任が怒っている
「実は○○が昨日早退をした」
「早退理由を母が危篤の為と書いた」らしい
「勿論直ぐに○○の家に連絡をすると、お母さんは元気で見えた」
「お前たち四人で学校をさぼって何をしていたんだ(怒)」

勿論○○と行動は共にしていない
その当時周りで麻雀が流行っていた(私も好きでした)
実際に学校帰りに友達の家で良くやって居ました
先生は四人で早退したことで麻雀でもしていたと思ったのでしょう
そもそもこの四人は先生に余り好感を持たれていない存在

しかし○○が余計な事をしてくれた事で
みっちり油を搾られたのは言うまでもない
○○当人はいたってすましたもので
気にもしていない
あの頃はこんな輩がゴロゴロしていた

あの三人とは随分会っていないが元気で居るのか?

自分史「高校時代3」

自分史「高校時代3」
高校に入学した時の制服も既製品では無くてテーラーの仕立て
素材はカシミアで作りました。襟裳少し高くして
当然先輩に目をつけられる事になります
しかし、私の兄が2級上で三年生でしたし
かなり幅を利かせていたので、その心配も有りません
「○○さんの弟か!しかたねえなあ~」

ただ他校との問題はそれでは解決出来ません
三年の時に名電と刈谷工業のグループが
学校にやって来た時は大変でした
私が五人ぐらいで下校中に十五人くらいの団体で来た
先の二校の二年生が???に来たわけです

どうも向うは私が頭だと勝手に理解して
いちゃもん付けて
私はそう判断された以上受けて立つしかなかったのです
(馬鹿な事やってたな~)
他の四人には手を出すな!帰って良いと言い
眼鏡をはずした瞬間に「やる気か?」
一対十五ですよ?ドラマじゃ有りませんから
結果は言うまでも有りません
メガネは割れる学生衣服は血だらけ
顔から体までボコボコにされましたね

次の日には学校中にその話がひろまって
度胸の良さだけで決して喧嘩には勝てない
ばれました?
また後日内の学校から仕返しに刈谷行く事になったらしく
声を掛けられましたが「俺は止めとくわ」
一人に的を絞って大勢で行くなんて卑怯ですから
今度学生服が駄目になったらアルバイトだけじゃ買えません

今から五十年前、半世紀前は私も元気が良かった

自分史「高校時代2」

自分史「高校時代2」
高校時代には勉強をしなかった事だけは良く覚えている
製図の授業もチャントしなかったので
提出の時は困ったものだ

マラソン大会とかの学校行事には参加せず
もっぱら家の仕事(鉄工所)を手伝って居た
一日働くと700円親父がくれた
チャント払ってくれたし、お小遣いも月に4000円
私にとっては一番のバブルの時でしたね
自分専用の車(マツダのキャロル)も有って
雨が降ると車で図書館まで行ってそこから学校に歩いて行った

新川駅の近くの「サンドリオン」と言う喫茶戦に通う
マスターがいつも良くしてくれて
あの当時ケーキ付のコーヒーセットが100円だった
3年生の時に体育大会で分団の応援団長をして
応援部門で優勝した時に団員全員1年~3年まで(20以上)を引き連れ
「サンドリオン」で優勝祝賀会をした
関係無い奴まで来たけど断れなかったな
マスターには迷惑を掛けてしまったが
あの時はいくら掛かったのかな?

考えてみると恰好をつけていたって事です
つまらない意識が有ったって事

自分史「高校時代1」

先日の資料整理の中で感じた時の移ろい
始めて落語に興味を持ったのが高校時代
中学生の時にはすでに音楽には目覚めていたのです
男の子が誰でも(違うか?)興味を持った
ビートルズやグループサウンズそしてフォークソング

私はppmのカバーをしていました
パフ。は今でも歌う事が有ります
後、ジョーンバエズ・・500マイル。悲惨な戦争
フォークギターを買った確かあの当時で7000円だったかな
グループサウンズはタイガースが刈谷の市民会館に来た
自分がなぜ行ったかの記憶はない
エレキギターに興味を持ち
機械科の仲間(電気クラブ)が自作のアンプを作ってくれた

そんな私が音楽をやって居た事を家政科の女子が知って
チケットを用意してくれた様に思う

予餞会でワイルドワンズの「思い出の渚」を唄ったし
三遊亭歌笑さんの歌笑つづり方教室の一節を歌った
生徒会の会長代理をしていたのでやりたい放題

自分の中で一番充実していた時代(そう思っていた)

今の自分はどうなんだろうか?